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Population

人口変化とその影響を明らかにし、変化対応を支援するブログです。

経済構造があなたの結婚率・出生率・家族単位を規定している

コンピューターや統計学を駆使してこれまで打ち捨てられてきた「宗門改帳」などの人口史料を分析し、人口の観点から歴史を見なおそうとするのが歴史人口学。その第一人者である速水融教授の研究からは、江戸・明治時代の庶民の家族の姿や暮らしぶりを知ることができます。例えば、江戸時代の諏訪地方で核家族が増えて人口爆発が起こったことや、美濃地方の村で所得格差によって死亡率・生まれる子供の数が違ったことなどが分かります。


江戸時代の諏訪地方で驚いたのは、農業生産に適応して世帯規模が変化し、結婚・出産率まで変化したということです。17世紀初頭、この地方では一つの世帯に15人とか20人いる大規模な世帯がたくさんありました。大規模な世帯とは、親夫婦、親戚夫婦、兄弟や子供の夫婦、従兄、叔父、叔母などが一緒に住んでいる世帯のことです。社会学ではこれを「合同家族世帯」と呼びます。このタイプの世帯が、農業生産に適応して、直径家族や核家族に分解していきました。「合同家族世帯」では必ずしも結婚しなくても生活できますが、大規模な家族が小規模な家族になると、結婚する必然性が発生します。このために家庭の小規模化に伴い結婚率が上がり、みんなが結婚するようになって出生率も上がった結果、諏訪地方では人口爆発が発生しました。


この時期には農業生産に大きな変化が発生します。それは、江戸時代が始まり、兵農分離によって都市や城下町ができるということです。城下町は内部でモノを生産しない為、農村から城下町向けの生産需要が発生します。伝統的な農業では、都市の市場向けの生産という概念は存在せず、自給自足や年貢の為に生産をしていました。自給自足は年貢は生きるための強制労働であり、働かなければ餓死するか殺されてしまいます。しかし、新しい市場向けの生産というのは、働けばお金になって戻ってくるわけで、労働の質が変化します。そのような変化によって、どうすれば農業の生産性が向上するのかを巡る競争が発生し、結局日本では農業生産形態の中で小規模の家族経営が一番良いということになりました。これは土地の大きさの制約と、農業の労働監督の難しさのためです。


実際に諏訪地方の世帯規模の変化を見ると、村あたりの世帯規模が4.5人になると、もうそれ以下には下がりません。4.5人というのが安定した数字だと考えられます。この数字は、その村の農業生産が小規模になり、家族単位になったことを示しています。私がこの歴史を知って驚くのは、農業生産に適応して世帯規模が決まり、家族単位の変化によって結婚率・出産率・子供の数まで変化したという事実に対してです。別の言い方をすれば、その時代の経済構造が家族単位の大きさを規定し、結婚するかどうか、子供を産むかどうかまで決めてしまうということです。現代も同様で、様々な経済の変化(グローバル化、フラット化、IT化等)が、家族単位の大きさや、結婚率、出生率に大きな影響を与えています。


今度は美濃地方についてですが、この村の人口の歴史で驚いたのは、所得によって死亡率・結婚率・出産率・住む場所が全く異なっていたということです。生まれた家の所得で人生が全くことなるものになりました。江戸時代の農家は地主層と小作層という2種類の階層に分かれますが、階層によって遠くに奉公に出る確率が大きく異なっています。遠くの街に奉公に出る確率は、男子の小作層では63.1%、地主層では39.4%、女子の小作層で74.0%、地主層で32.5%でした。当時の都市は死亡率が地方よりはるかに高かったため、奉公に行く割合が高いと死亡率も高くなります。また、奉公に出る平均期間は13〜14年が一般的でしたが、出稼ぎ奉公に行った者が村に帰ってきても結婚年齢が遅れるため、生まれる子供の数が減ります。生まれた階層によって子供を持てる数すら違うのです。実際、小作の場合は35.0%が跡継ぎがなく絶家してしまいました。



上記の2つの例から分かるのは、経済や所得が、家族単位、死亡率、結婚率、出産率、住む場所に大きな影響を与えるということです。非婚化や少子化については一般に価値観やライフスタイルの変化の文脈で語られることが多いですが、歴史人口学の見地からすれば、非婚化や少子化は経済問題です。経済構造が結婚率や出生率や家族単位を規定しているとも言えます。日本ではこれから急激な少子高齢化と家族構成の変化が予測されていますが、それに対応するためには、「どういう出生率や家族単位が望ましいか」ではなく、現代が「どのような経済構造になっているか」から議論を始める必要があると考えています。


参考文献:歴史人口学で見た日本/速水 融