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地震復興の住宅建設は『約4割が子供を産まない時代』という現実に基づいて行うべき

世界最大級M9・0の地震が日本を襲いました。地震の大きさは日本の地震観測史上最大であり、全世界で歴代4位の規模とのことです。また、宮城県警によれば、死者数について「万人単位に及ぶことは間違いない」と発表しており、犠牲者も阪神大震災を上回る過去最大規模となる見通しです。マクロの数字だけ見ても被害は深刻ですが、現場のミクロのニュースはさらに悲惨な様子を伝えています。以下は、今回の地震の高齢者関連のニュースです。


暴れる波、日常無残 家々跡形もなく 南三陸

 朝日を浴びたがれきの山に目を疑った。登米市と宮城県南三陸町を結ぶ国道398号から12日午前7時、津波で壊滅的な被害を受けた同町志津川の小森地区に入った。


 志津川湾は南東に約2キロの距離。山間に住宅が点在するのどかな地区のはずだった。家々を支えていた建材はバラバラに折り重なり、トラックや泥だらけのトラクター、大破した漁船が縦横に打ち上げられている。旧志津川町の中心部にあった美容院の三角屋根はここまで1キロ以上、運ばれてきた。地元建設会社の資材置き場も柱ごと数百メートル押し流された。


 南三陸町の建設業西城孝一さん(57)は、小森に住む親戚の安否確認に訪れた。「家は跡形もなかった。もう駄目だ」


 中心部に着いて、避難所から自宅の様子を見に行く人が少ないことに気付いた。難を逃れた人々は前日、避難した高台で元の場所には何一つ残っていないことを見届けてしまったからだろうか。


 志津川の防災計画はチリ地震津波(1960年)を基準に組み立てられていた。旧町役場は崩壊し、災害時に「司令塔」となるはずの総合防災庁舎は赤い鉄骨だけになった。町職員らによると、佐藤仁町長の安否が不明になっている。


 屋上に避難した患者らの一部が12日、ヘリコプターで救出された公立志津川病院(5階建て)も「本来は4階部分に患者を避難させるマニュアルだった」(医療スタッフ)という。ヘリで救出されたのは人工透析が必要だったり、病状が重かったりした人たち。自力で動ける患者は、看護師らに付き添われ、徒歩で避難所や高齢者施設に移動した。


「まったく動けない患者さんたちは、流されてしまった」(同)。想定を超えた津波の威力がもたらした惨事だ。

 
町職員西城彰さん(59)は津波で父を亡くした。「遺体があるだけでも、まだいい方だ」。声を詰まらせた。

「押し寄せた黒い水が腰まで……」寝たきり母救った息子


津波到達時の恐怖を話す佐々木和明さん=福島県南相馬市原町区の南相馬市立病院


 「九死に一生…とはこういうことか。あっという間の到来。間一髪だった」


 津波で海岸一帯が壊滅的な被害を受けた福島県南相馬市原町区。自宅にいた無職、佐々木和明さん(62)は、地震直後、約7キロ離れた同区上渋佐の高齢者施設「ヨッシーランド」に車で駆けつけた。


 施設には母親のリイさん(90)が寝たきりの状態で入所していたからだ。佐々木さんは施設前に車を置き、建物から避難した人たちからリイさんを見つけ、高台に運んだ。


 「大津波だ」


 「逃げろ」


 「早くしろ」


 怒号が飛び交った。


 「海岸の方から、ものすごい勢いで津波が押し寄せた。黒い水があっという間に到達し、高台に逃げた私も腰まで水につかった」と振り返った。


 海岸から施設まで約2キロ。数十秒しかかからなかったという。


 佐々木さんは母親以外に2、3人の高齢者も避難させたが、津波到達後は一瞬のうちに波にのまれ、引く波と一緒に流されていく人たちを見つめるしかなかったという。


 「私のも含め、数十台の車が建物にぶつかり、めちゃくちゃになった。すさまじい破壊力だ。海辺から車で逃げようとした人が心配だ」と話した。


 リイさんは無事、現場から南相馬市立病院に収容された。「助けた直後、母親から『助かった。ありがとう』って言われたよ」。佐々木さんはうれしそうに語った。


これらはごく一部のニュースであり、他にも報道されたニュースは山ほどあるし、報道されなかった事件も沢山あります。被災者の方々が一刻も早く普段の穏やかな生活に戻れるように、私たちに出来ることは何でしょうか。オノ・ヨーコは次のように述べています。

【災害関連】オノ・ヨーコから、日本に向けたメッセージ

「IT'S TIME FOR ACTION(行動するとき)」です。まずは、人命の救出です。それは、国や自治体が中心になって全力でみんなで取り組まなければならないことです。そして次には、未来に向かって復興させることです。毎日少しずつ。復興させることに喜びを感じましょう。ただ、復興させるだけでなく、今までただ、アイデアで、それを建設する場所がなかったのが、今できるようになったということがあるのです。新しい日本の国を作るのです!世界にもない新しい未来の国を建設するのです。


今までの日本は、封建時代の人口過剰の日本には適当な街々だったのです。今度は会社本位でなく、家族が一緒に楽しめるような、そして、高齢の人も健康で楽しめるようなヘルシーな国を建設することができるのです。だから、再建ではなく、新しい国の建設です。楽しみながら建設しましょう。

彼女が言うように、人命救出の次に私たちに出来ることは、未来に向かって復興させることです。新しい日本という国を作ることです。それがどのような国かといったときに、「高齢の人も健康で楽しめるようなヘルシーな国を建設する」という方向性は正しいと思いますが、「家族が一緒に楽しめるような」という方向性は間違っているように思います。なぜなら、家族があるという前提が、日本では既に崩壊しているからです。国立社会保障・人口問題研究所によれば、日本は今の20代の38%が子供を産まない、50%が孫を持たないと予測されています。高齢者単身世帯の急増もほぼ確実視されています。そんな中で、家族があることを前提に国を作ってしまうと、家族がない人に深刻な影響が出てきます。


今回の地震が良い例です。上のニュースでは、息子が車で駆けつけ高齢者の母親を津波から助けることができましたが、家族の助けがなかった方は津波に流されてしまいました。このように、家族の有無で生死が決まってしまうということが、今回の地震で少なからず発生したわけです。この津波に流された人をどう見るか。「災害の規模が甚大すぎてどうしようもなかった」と見るか、「高齢者は家族が助けるべきという前提に基づいて制度が作られた結果、家族を持たない方の命が失われてしまった」と見るか。多分どちらも正しいんだと思います。そうだとすれば、私達が今回の地震から学んだ一つの教訓は、家族の存在を前提とした制度は改めるべきということです。


東北地方ではこれから建物の復旧が始まると思います。その際、今まで住宅があった場所に新しく家を建てたのでは、再び災害があった時におそらく対処できません。なぜなら、その家は家族数人が住んでいるという旧時代の家族制度を前提として設計されているからです。少子高齢化とグローバル化によって、現在では一カ所に家族全員が住む過程が減りつつあります。家族を持たない人も増えています。結婚する人や子供を産む人が減り、高齢者単身世帯が急増する現代においては、旧時代の住宅政策は災害や犯罪対してあまりに無力です。家族制度の存在を前提として建物や諸制度を作ることは、今回の災害を機にやめるべきです。


住宅に関しては、有料老人ホームや、介護サービス付の高齢者専用賃貸住宅等の充実が必須だと思います。拡大家族や核家族を前提として住宅が分散している現在の状況では、災害や高齢者の病気等に対応できません。いざという時に高齢者の移動を手伝ったり、正しい情報を伝えたりする人が近くにいる必要があります。従来はこれを家族が担っていましたが、もうそのような家族制度は旧時代のものになりつつあります。単身高齢者の住む住宅が無秩序に拡大すると、少子高齢化の中で介護・医療・行政があまりに非効率で存続できなくなります。介護関連の規制を出来る限り減らし、民間の経営効率と競争原理を導入することで、高齢者が身を乗り出して住みたくなるような住宅を増やすべきです。


少子高齢化が進む日本では、既にそのような住宅が出現しています。コレクティブハウスはその典型例です。これは数十人規模のシェアハウスのようなもので、それぞれが独立した専用の住居とみんなで使ういくつかの共用スペースを持ち、生活の一部を共同化するような住まいです。大学生から高齢者まで幅広い世代が住んでおり、血縁にこだわらない広く豊かな人間関係の中でこの住まいの中で生まれています。私がコレクティブハウスの見学会に行った際には、MBAに通う大学院生や、慶應の学生等が熱心に色々聞いていました。今の20代の視点から見て、現代の住宅制度は時代に適していない、これはビジネスチャンスだ!、と思うからこそ人が集まるんだと思います。


今回のような地震の被害を少しでも軽減しようという気持ちがあるならば、家族制度の存在を前提として建物や諸制度を作ることは、もうやめるべきです。今回の地震でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、今なお救助を待たれている方々が一刻も早く救出され、復興によって作られる新しい日本が輝かしいものになることを願うばかりです。