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人口変化とその影響を明らかにし、変化対応を支援するブログです。

日本の製造業は技術力でなくブランドで勝負するべき

「ものづくり大国」という言葉に象徴されるように、日本には世界で通用する製造業の大企業がたくさんあります。トヨタ、ホンダ、キャノンなどがその例であり、大半は品質・技術力に定評のある企業です。一方、同じ製造業でも、日本には世界で通用する高級ファッションブランドを持つ大企業が殆どありません。希少品を売る高級ブランドは、ルイ・ヴィトン、ディオール、ロレックスなど大半が欧米企業です。日本のファッション業界の大企業と言えばファーストリテイリング(ユニクロ)位であり、これは裁縫技術と低コストの生産に定評のある企業です。つまり、日本の製造業は技術力で勝負し、欧米の製造業はブランドで勝負している状態です。



日本の製造業にとって、技術力・ブランドのどちらで今後勝負するのかというのは企業の明暗を左右する重要な問題です。経団連などは技術力で勝負すべきという立場ですが、私は日本の製造業は技術や品質を重視しすぎと感じています。品質や技術を捨てろとまでは言いませんが、これからの日本の製造業はもっとブランドで勝負するべきだと思います。以下の2つの時代変化がその理由です。



1.機能より非物質的な要素が重視されるようになった
戦後の日本はモノが足りない状態でしたが、現在の日本は世界でも有数のモノが溢れる国になりました。物質的な豊かさを達成した社会では、サービスや付加価値、情報や文化、記号やイメージ、ブランドやスタイルといった非物質的な豊かさが売り物になります。衣食住を例にとると、昔は生きるために服・食物・住居が必要でしたが、今はブランドやスタイルでそれらを選ぶようになっています。


機能より非物質的な要素が重視されるようになったということは、単なる実感に留まらず、様々な分野の有識者にも指摘されています。例えば、ポスト構造主義の哲学で有名なボードリヤールは『消費社会の神話と構造』という著書の中で、「資本主義が大工場制を中心とする物質主義から情報や記号の生産を重視する構造に変化した」と論じています。また、LVMHグループを創設したベルナール・アルノーも「これからの時代、精神的な充実を求める声が一段と高まり、物質主義は後退するでしょう」と述べています。京都大学名誉教授の梅棹忠夫も「製造業において外延量や物質エネルギー的側面よりも、感覚や情報が重視される時代になっている」と主張しています。



2.日本が労働集約的な産業にむかなくなった
日本の製造業が戦後世界で戦えるようになった理由の一つに、低コストの労働力の存在が挙げられます。戦後の日本の労働者は、低賃金で、教育水準が高く、長時間働きました。また、戦後は5人兄弟なども珍しくなく労働力も豊富でした。安価な労働力があったからこそ、低コストで品質の良い製品を生産できたわけです。イメージとしては今の中国みたいな感じです。ところが、今の日本は労働コストが最も高い国の一つである他、少子高齢化によって若者が劇的に減少し、労働力は豊富でも安価でもなくなっています。そのため低コストの労働力で勝負する労働集約的な産業、安価で品質の良いものを作る製造業などは、競争上の優位を既に失いつつあります。


そのような状況下における企業の選択肢としては、(1)海外生産、(2)ブランドで勝負する、という方法があります。どちらも推進されるべきだと思うのですが、日本は少子高齢化以前の成功体験から抜け出せず、海外生産ばかりを追求しているのではないでしょうか。もっとブランドで勝負するという視点があっても良いように思います。


有能な経営者が入れば世界で通用する可能性のある高級ファッションブランドは、既に日本で幾つかあります。例えばコム・デ・ギャルソン。海外で通用する数少ない日本のファッションブランドである他、日本発の高級ブランドの中で日本人女性の知名度が高く、希少なブランドです。ブランド設立が1969年なのに、ホームページの開設は2010年10月、社長は今でも創業者のデザイナーが行っており、プロの経営者が入れば、企業の成長余地が相当あるように感じます。


化粧品のシュウウエムラも海外で通用する数少ない日本のブランドですが、ロレアルに買収されてしまいました。シュウウエムラ以外にも、KENZOやA BATHING APEなど買収される日本発のブランドは多いです。海外企業の方が日本ブランドの価値を理解しているという現状は、日本の製造業が品質や技術力に拘泥し、ブランドで勝負するという視点を忘れていることの象徴的な出来事だと思います。