Population

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50以上の世界―「標準世帯」の終わり・から/油谷遵、辻中俊樹

50以上の世界―「標準世帯」の終わり・から (21世紀の生活価値展望)

50以上の世界―「標準世帯」の終わり・から (21世紀の生活価値展望)



100字要旨
日本の一番の問題は、65歳以上の人口増加ではなく、50歳以上が過半を占める社会が世界で初めて到来することである。50歳以上の人口増大は標準世帯の解体を通じて日本の不況の構造的な原因となっている。



50歳以上が過半を占める社会が初めて到来する
50歳以上の人口が、成人人口の過半数を占める社会が間もなく到来する。これは日本だけに出現する、世界史的に初めての出来事である。女性のライフステージという概念では、49歳まではまだ子供を生産する能力を持っているという生物的認識の中に入り、これを過ぎると生物体として子供を再生産する能力は終わったとされる。また、平均初婚年齢は20代半ばなので、50代を超えたあたりで、平均的な夫婦での子供はほぼ成長を終える。つまり、人は50歳頃を境に、「社会と家族への義務と責任」の人生第二期から「自己責任と自由の」人生第三期へと移行する。従来は仕事をして家族を再生産するという目標を持つ成人が多数派だったが、50歳以上の人間が相対的多数派を握ることによって、人生最後の死を目標とする人が多数派となる。社会目標が今までとは全く逆転する社会に我々は突入している。



高齢・65歳以上の増大が課題ではない
いま日本の社会で一番問題になっていることは、高齢化ではなく、50歳以上の人口が急速に増大していくことである。65歳以上の人口が7%を超えると高齢化社会、14%を超えると高齢社会と言うが、これは国連の恣意的な定義であり、生物学的にも科学的にもどこにも根拠はない。また、65歳以上の人を高齢者と言わなければならない根拠もない。この高齢者の定義は、1884年にドイツのビスマルクが実施した「公務員の65歳定年制」に由来する。当時のドイツの平均寿命は37歳のため、65歳定年制は事実上意味のない法令だった。それなのに、なぜビスマルクが65歳定年制を実施したのかというと、それは政敵を排除するのが目的だったのだ。だから、65歳という区切りは社会的形式に過ぎない。65歳という年齢自体は今後の社会においてあまり意味のあることではない。それよりも人生の第三期というライフステージに入る50歳以上という区分の方が重要である。



標準世帯の解体が不況の原因である
夫婦2人と子供2人の世帯を標準世帯と定義すると、50歳以上の人口が増大するということは、標準世帯の解体を意味する。この標準世帯の家計支出は個人消費や住宅投資の根幹をなすものだ。なぜなら、子育てにあわせて衣・食・住などの必需費用が発生する他、この支出の源泉となる収入を得る働き手が労働力の再生産のために休養や娯楽に支出するからである。このように標準世帯を焦点としたマーケティングや商品開発によって日本は成長してきた。ところが、今、50代の急増によって標準世帯が解体し、家計支出そのものが縮み始めている。日本で進行する不況は人口動態上の構造転換が背景のため、この不況は景気循環によって改善しない。今まで企業や国家が考えていた標準世帯の家計を中心とした支出項目に対して、需要と供給という課題を考えていくシステムのままでは、不況から逃れられないのだ。



斬新な点
著者は「50歳以上の相対的多数派は、人生第三期に入り、家族をつくり、子供を育て、社会の最前線で社会の生産物をつくっていくという概念から見れば、義務と責任から解放されている方向に入る。ここに対する基本的な価値のあて方を変えていかなければならない。」と主張し、人生第三期の新しい価値観として「健康に配慮しながら幅広い趣味の世界に生きるというスタイル」を提唱、「これからは家族や組織のためではなく、自分のために生きよう」と呼びかける。確かにこれは50歳以上の人にとっては理想の世界だろう。しかし、50歳以上の全ての人が「義務と責任から解放されて趣味の世界に生きる」ようになったら、そのツケを誰が払うのだろうか。労働、育児、介護、社会保障などの重荷を50歳未満の人に全て背負えとでも言うのだろうか。50歳以上が過半を占める社会では、政治などの様々な意思決定が50歳以上に有利なように進む。言いかえれば、50歳未満が不利な社会が着々と構築されていく。このような事態を避けるためには、50歳以上の人も「義務と責任」を背負う必要があるし、50歳未満の人は自分達の手で新たな少子高齢社会の未来図を提示・実行する必要があるだろう。